矢沢永吉の最終学歴を語る上で欠かせない出身高校は、私立の広島電気工業高校(広島県安芸郡海田町)です。同校は時代の変遷とともに共学化や学科改編を重ね、1999年に広島国際学院高校へと校名を変更しました。
矢沢が在籍していた1960年代半ば、同校は高度経済成長期を支える技術者を数多く輩出していた男子校の工業高校でした。当時の教育環境は質実剛健そのもので、地元広島の産業界へ即戦力を送り出す実学重視の気風が強かったと伝えられています。
気になる当時の偏差値についてですが、昭和40年代当時の高校受験データは現在のような標準化された全国模試の数値と単純比較ができません。しかし、当時の地方私立工業高校の立ち位置や地元教育関係者の証言を総合すると、実質的な学力基準は現在の偏差値換算で40〜43程度の難易度であったと推計されます。なお、現在の広島国際学院高校は普通科(特進コースなど)を設置した進学校へと転換しており、学科コースによって43〜53前後の偏差値帯に位置しています。