三上博史が民放の連続ドラマから距離を置いた理由には、昭和から平成のテレビ業界が抱えていた過度な商業消費システムへの違和感がありました。
1980年代末から1990年代初頭にかけて、『君の瞳をタイホする!』『愛しあってるかい!』『この世の果て』など、主演作が次々と高視聴率を記録。街を歩けば黄色い歓声を浴びるトップスターとなった一方で、現場は過酷を極めていました。当時のインタビューや手記で三上本人は、「ベルトコンベアに乗せられた製品のように、次から次へと感情を消費されていく恐怖」を吐露しています。
視聴率戦争のプレッシャーの中、撮影当日に台本が届くような過密スケジュールが常態化し、役柄を深く掘り下げる時間すら奪われていく制作体制。その中で三上博史は、「役者として枯渇する前に立ち止まらなければならない」という強い危機感を抱くに至りました。決してテレビ界から干されたのではなく、表現者としての魂を守るために自らの意志で距離を置いたのが真相です。
その後、WOWOWの「連続ドラマW」(『下町ロケット』『震える牛』など)のような、じっくりと時間をかけて作られる骨太な社会派ドラマには選別して出演。民放の視聴率至上主義とは一線を画すスタンスを明確にしていきました。