黒田官兵衛と竹中半兵衛の真相|秀吉を導いた天才軍師の絆と違い

黒田官兵衛と竹中半兵衛の真相|秀吉を導いた天才軍師の絆と違い

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ネット上の歴史言説や通説において、黒田官兵衛は「秀吉すら恐れた天下取りの野心家」「冷酷非情なマキャベリスト」として語られることが少なくありません。特に有名なのが、本能寺の変の一報を聞いた際、取り乱す秀吉の耳元で囁いたとされる「ご運が開けましたぞ」という言葉です。また、晩年の関ヶ原の戦いにおいて九州を瞬く間に席巻し、「東西の軍が疲弊した隙に天下を奪おうとした」という天下取り計画も広く知られています。

しかし、近年の歴史学界における史料批判や実証研究では、こうした「野心家・官兵衛像」に大きな見直しが進んでいます。

第一に、「ご運が開けましたぞ」という発言は、江戸時代中期以降に成立した逸話集『名将言行録』などに記されたものであり、同時代史料には存在しません。官兵衛が伝えたのは、主君の危機を好機に変えて織田家中の主導権を握るべきという「現実的な軍事的・政治的判断」であり、自身の天下取りを唆すものではありませんでした。

第二に、関ヶ原の戦いにおける九州制圧作戦についても、官兵衛は終始、徳川家康の東軍方として整然と軍事行動を展開していました。手持ちの兵力がわずか数千の状況から浪人を集めて電光石火で九州を平定したのは事実ですが、これは東軍勝利を決定づけるための後方撹乱および領地確保策であり、単独で中央へ攻め上って天下を奪う意図があったとする確固たる一次史料は確認されていません。

官兵衛の真の姿は、冷酷な野心家ではなく、「戦乱の早期終結と主家の存続を第一に考え抜いた超合理主義者」でした。秀吉が官兵衛を警戒して石高を播磨や筑前などで抑え気味にしたのは事実ですが、それは官兵衛が謀叛を起こすことを恐れたというより、官兵衛のあまりに高すぎる軍事・調略の才覚を制御しきれなくなることを直感的に恐れたためであると解釈するのが、現在の学界では有力です。

山崎 陸
著者

山崎 陸

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