物語の核心であり、観客に強い衝撃を与えたのが一郎彦の「正体はバケモノではなく、捨て子の人間であった」という事実です。幼少期、渋天街の路地に捨てられていた人間の赤子を拾った猪王山(いおうぜん)は、周囲からの差別や偏見から守るため、彼を実の子として育てる決断を下しました。
しかし、この「慈悲深き隠蔽」こそが、一郎彦の精神を徐々に蝕んでいく悲劇の引き金となります。成長するにつれて弟の二郎丸には立派な牙や鼻が生え、バケモノとしての特徴が顕著になる一方、一郎彦の容姿は人間のままです。鏡を見るたびに深まる「なぜ自分には牙が生えないのか」「なぜ父のような立派な姿になれないのか」という違和感は、誰にも打ち明けられない強烈な劣等感へと姿を変えていきました。
猪王山への狂信的な敬愛と憧れが強かったからこそ、自分が「父の血を引く完全な後継者」になれない恐怖に苛まれます。真実を告げられず、帽子で頭部を隠し続けた過保護な養育環境は、一郎彦から「ありのままの自分を受け入れる機会」を永遠に奪ってしまったのです。敬愛する父が熊徹との宗師決定戦で劣勢に立たされた瞬間、抑え込まれていた自己同一性の崩壊が臨界点を突破し、完全な闇堕ちへと至りました。