甲斐とはどこ?山梨県全域と甲斐市の違い&武田信玄の真相を徹底解明

甲斐とはどこ?山梨県全域と甲斐市の違い&武田信玄の真相を徹底解明

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大手検索エンジンのサジェストや知恵袋などで定期的に浮上するのが、「なぜ県庁所在地が甲斐市ではなく甲府市なのか?」「甲斐国なのに、なぜ山梨県という名称なのか?」という疑問です。ここには、近代日本の行政再編における思惑とドラマが隠されています。

盲点1:なぜ「甲斐県」ではなく「山梨県」になったのか?

1871年(明治4年)の廃藩置県時、旧甲斐国領は一時的に「甲府県」と命名されました。しかしその直後、明治政府の主導により、県庁が置かれた場所の郡名を採用する方針がとられ、甲府城下が存在した「山梨郡」から名を取って「山梨県」と改称されたのです。

当時の明治新政府には、幕府側についた旧藩や旧令制国のプライドを解体し、地方の求心力を削ぐために「あえて由緒ある旧国名(甲斐)を使わせず、ローカルな郡名(山梨)を県名に充てた」という政治的力学が働いたと史料研究で指摘されています。こうして「甲斐国」の領土がまるごと「山梨県」へと看板を掛け替えることになりました。

盲点2:甲斐市誕生による「広域地名の私物化」議論

現在の「甲斐市」は、歴史が何百年も続く自治体ではありません。2004年(平成16年)9月1日、中巨摩郡竜王町・敷島町・北巨摩郡双葉町の3町が対等合併して誕生した、いわゆる「平成の大合併」による新興都市です。

当時、公募によって決定された「甲斐市」という市名に対し、周辺自治体や歴史愛好家からは少なからぬ困惑と議論が巻き起こりました。「山梨県全域を意味する“甲斐”を、一地方の市町村が専有してしまうと、県外の人が誤解するのではないか」という懸念です。実際、合併から20年以上が経過した2026年現在でも、「甲斐市に行けば山梨県のすべてがある」と勘違いして訪れる観光客が後を絶ちません。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。