たっくーTVの類まれなトーク力は、天性のものであると同時に、過酷な下積み時代によって磨き上げられた職人技です。高校卒業後に本格的にお笑いの道を志して上京した彼は、名門お笑い養成所であるスクールJCAに入学。プロダクション人力舎に所属し、お笑いコンビ「オーシャンスタイル」のツッコミ担当として活動をスタートさせました。
当時のライブシーンを知る劇場関係者の証言によると、「ネタの構成力と瞬発的なツッコミのキレは当時から群を抜いていたが、コンビとしての方向性の不一致や集客の壁に直面し、相当な苦悩を抱えていた」と振り返ります。賞レースでの敗退や経済的な困窮が重なり、最終的にオーシャンスタイルは解散。芸人としての夢は一度完全に途絶えることとなりました。
所属事務所を離れ、借金や将来への絶望を味わう中で選んだ次なる舞台が、黎明期を脱しつつあったYouTubeでした。一般的なYouTuberのように体を張る企画ではなく、ラジオパーソナリティのように「声と話術だけで勝負する」というスタイルを選択。暗がりの中で赤いマイクに向かって語りかける独自のフォーマットは、芸人時代の敗北感から這い上がるための、乾坤一擲の賭けでした。