春のお花見シーズンが過ぎた初夏、公園のソメイヨシノの枝先を凝視すると、直径1センチメートルにも満たない小さな丸い実が赤から黒紫色へと熟している光景に出くわすことがあります。「ソメイヨシノには実がならない」と教わってきた人にとって、これは不思議な現象に映るはずです。
ソメイヨシノに果物店のような立派なさくらんぼができない決定的な理由は、この品種が抱える「自家不和合性(じかふわごうせい)」という極めて強力な遺伝的性質にあります。日本中にあるソメイヨシノは、江戸時代末期に一本の原木から接ぎ木や挿し木によって増やされた完全なクローン(同一遺伝子個体)です。そのため、ソメイヨシノ同士の花粉では受精が成立せず、原則として種子を宿すことができません。
では、なぜ公園の木に時折実がつくのでしょうか。その正体は、近隣に植えられている別の桜品種(オオシマザクラやヤマザクラなど)の花粉をミツバチなどの昆虫が運び、偶然に交雑受精が成立した結果です。ただし、結実したとしても観賞用に特化した遺伝子構成であるため、果肉を肥大化させて糖度を高める機能を持たず、豆粒のような硬く小さな実にとどまります。