上田藤兵衛氏の経歴を紐解く上で欠かせないのが、「自由同和会」(自民党系の同和団体)における絶対的な地位と、その特異な生い立ちです。
京都の被差別部落に生まれた上田氏は、若い頃から地元の運動に身を投じ、やがて保守系同和運動の中核組織である自由同和会京都府連合会会長へ登りつめました。当時の日本はバブル経済の絶頂期から崩壊期にかけて、京都駅周辺の再開発や高速道路建設、関西国際空港関連事業など、数百億円から数千億円規模の大型開発プロジェクトが目白押しの時代でした。
地権者の利害調整や行政との折衝、さらには地域に根を張るアウトロー組織との境界線において、卓越した交渉力と胆力を見せたのが上田氏でした。行政にとっては「頼らざるを得ないパイプ」、企業にとっては「トラブルを鎮火させる防波堤」として機能し、いつしか「京都の黒幕」「同和のドン」と呼ばれる巨大な権力基盤を築き上げたのです。