同君連合の成立から約1世紀後、実質的な「イギリス誕生」と呼ぶべき決定的瞬間が訪れます。それが1707年 合同法の可決によるグレートブリテン王国 誕生です。
長年対立してきたイングランドとスコットランドが議会を統合し、完全な一つの国家になる道を選んだ背景には、切実なスコットランド 合併 理由が存在しました。
当時、スコットランドは自前の海外植民地を築くべく、莫大な国家予算を投じてパナマ地峡へ進出する「ダリエン計画」を実行しました。しかし、熱帯病の蔓延やスペイン軍の妨害、イングランドからの支援拒絶が重なり、計画は壊滅的な失敗に終わります。これによりスコットランドの国家財政は破綻寸前に追い込まれました。
一方のイングランド側も、フランスと結託する可能性のあった北方のスコットランドを安全保障上、完全に自陣営へ組み込みたいという強い思惑を抱いていました。経済的救済と引き換えに政治的統合を迫るイングランドと、経済再建を期すスコットランド貴族の利害が一致し、1707年5月1日、両国の議会が合流したグレートブリテン議会が誕生したのです。