決定打となったのは、講談社が発行する写真週刊誌『FRIDAY』による連続スクープでした。プライベートな空間で撮影された写真や、身近な人物からの証言とされる音声データが次々と公開され、メディアの取材競争は過熱を極めました。
当時彼が所属していた芸能プロダクション・トップコートは、法的措置も辞さない構えで徹底抗戦の構えを見せました。事務所側は本人の無実を主張し、守り抜く姿勢を崩していませんでしたが、報道の波及スピードは事務所の防衛線をあっさりと突破してしまったのです。
「これ以上、関係者に迷惑をかけたくない」。周囲への負担を何より嫌った彼は、事務所との契約解除を申し入れ、自ら芸能界を離れる道を選択しました。守られるべき立場の人間が自ら退路を断つという最悪のシナリオは、当時の芸能界に深い傷痕を残しました。