彼らはなぜ、命がけのリスクを冒してまで既存の権力者である蘇我氏を排除しなければならなかったのか。その本質は、地方豪族が土地と人民を私有する「氏族社会」からの脱却にあった。
豪族たちが独自の軍事力と領地を持ち、バラバラに支配している状態では、唐や新羅といった外圧に国として立ち向かえない。国家がすべての土地と民を直接支配する「公地公民」の思想こそが、改革派の悲願だった。
戸籍を作成して民に田を与え(班田収授法)、代わりに税と兵役を課す。この壮大な国家改造構想は、646年の「改新の詔」でぶち上げられたものの、豪族たちの激しい抵抗や妥協を挟みながら、701年の「大宝律令」完成まで半世紀以上かけて実像を結んでいくことになる。