正力の生涯において、最もセンセーショナルかつ歴史の深部に位置するのが、原子力発電の導入と米中央情報局(CIA)との関係です。
2000年代以降、米国立公文書館で機密解除された極秘文書の調査報道により、正力松太郎がCIAからコードネーム「ポダム(PODAM)」および「ケストレル(KESTREL)」を付与され、心理戦工作の協力者として位置づけられていた事実が判明しました。
当時、第五福竜丸の被災(ビキニ環礁での水爆実験)によって日本国内では反米・反核感情が頂点に達していました。これに対し、米国政府は日本を西側陣営に引き留め、原子力のイメージを好転させる「Atoms for Peace(原子力の平和利用)」キャンペーンを画策します。
正力はこの米国の思惑と完全に利害を一致させました。読売新聞の紙面や日本テレビの放送網を駆使して「原子力の平和利用博覧会」を全国で開催し、わずか数ヶ月で数百万人を動員。初代原子力委員会委員長および科学技術庁長官に就任した正力は、「国策としての原発推進」を一気に既成事実化していきました。正力自身の手記や当時の関係者証言を検証すると、単に米国の操り人形だったのではなく、「米国の威光と技術を利用して自らの政治的野心(首相の座)と日本の近代化を果たす」という強烈なプラグマティズムが働いていたことが窺えます。