利用客から頻繁に寄せられる疑問の一つに、「なぜ運転手は右折や左折のたびにマイクでセリフを言うのか」「発車のたびに『発車します』と繰り返すのは過剰ではないか」というものがあります。この疑問を解く鍵は、バス事業者の右左折注意喚起マニュアルと、交通心理学における「指差喚呼(しさかんこ)」の効果にあります。
運転士が発する「バス発車アナウンスセリフ」や右左折時の肉声には、明確な2つのターゲットが存在します。
第1のターゲットは「車内の乗客」です。バスは構造上、遠心力や加減速の慣性力が普通乗用車よりもはるかに強く働きます。座席に座っている乗客であっても、カーブの直前に「右へ曲がります」という予告を耳で捉えることで、無意識に手すりを握り直したり体幹に力を入れたりする身構え(予期行動)を取ることができます。これにより、カーブやブレーキによる転倒・受傷リスクが劇的に低減します。
第2のターゲットは「運転士自身の脳内意識」です。プロのドライバーであっても、長時間の過密ダイヤ運転では認知の隙間(ヒューマンエラー)が生じる危険があります。ハンドルを切る前に「左よし、巻き込み確認、左へ曲がります」と自らの声に出して発声することで、視覚情報だけでなく聴覚情報としても大脳皮質を刺激し、死角にいる歩行者や自転車の見落としを物理的に防いでいます。
つまり、あの特徴的なバス車内事故防止肉声アナウンスは、乗客へのアナウンスであると同時に、運転士が自らにブレーキをかけ確認動作を完了させるための「安全動作トリガー」として機能しているのです。