鷲子山上神社を語る上で欠かせないもう一つの決定的なミステリーが、社殿の真ん中を貫く「県境」の存在だ。本殿および拝殿のまさに中央線に、栃木県(那須郡那珂川町)と茨城県(常陸大宮市)の境界線が敷かれている。神社に続く大鳥居や参道の中央にも県境を示す目印があり、参拝者は右足と左足を別々の県に置きながら手を合わせるという、日本全国を探しても極めて類を見ない体験をすることになる。
この特異な構造は、平安時代初期の大同2年(807年)に大蔵坊宝珠上人によって諸国鎮護のために勧請された歴史に端を発する。中世から近世にかけて、下野国(栃木)と常陸国(茨城)の双方の領主や民衆から等しく崇敬を集め、水戸藩主・徳川光圀(水戸黄門)も社殿を修復するなど手厚い保護を与えた。どちらか一方の領地に偏ることなく両国の平安を祈る結界の要衝として、意図的に境界の頂に社殿が築かれた経緯がある。
現在でもその伝統は受け継がれており、神社には栃木県側と茨城県側の双方に社務所が存在し、宮司家や役員も両県から選出され、宗教法人登録も双方の県知事から認可を受けている。地政学や風水学の見地からも、二つの異なる大地のエネルギー(気脈)が激しく交差・統合されるゼロ磁場的なパワースポットとして捉えられており、参拝者の心身の歪みをリセットし、運気の停滞を一気に打破する強力な結界エネルギーを形成している。