名高達男の半生を語る上で避けて通れないのが、1980年代末から1990年にかけて日本中を騒然とさせた三田寛子との婚約劇と電撃破局です。当時、トップアイドルから清純派女優へと成長していた三田寛子と、当代きってのダンディ俳優である名高達男の婚約発表は「絵に描いたような美男美女カップル」として列島を沸かせました。
しかし、挙式を目前に控えた段階で事態は急転直下の破局を迎えます。その引き金となったのが、名高が東京都世田谷区等々力などに計画していた超豪華私邸の建設に伴う巨額借金問題でした。バブル経済の熱狂と崩壊の狭間で、建設会社のトラブルや保証人問題、事務所独立に伴う資金繰りが複雑に絡み合い、名高は突如として数億円規模の負債を背負うことになったのです。
当時開かれた単独会見の場において、名高は憔悴した表情を浮かべながらも、言葉を濁さずに事実関係を公表しました。「これから先の人生を背負わせるわけにはいかない」「自分の蒔いた種に巻き込むことはできない」という男の責任感から、三田寛子側の将来を案じて自ら身を引く決断を下したと語られています。三田寛子は後に歌舞伎俳優の中村芝翫(当時・三代目中村橋之助)と結婚し、梨園の妻としての道を歩むことになりますが、当時の二人の別離は芸能史に残る悲劇的な幕引きとして記録されています。
驚くべきは、ここからの名高の生き様です。自己破産などの安易な道を選ぶことなく、Vシネマへの過密スケジュール出演、舞台の全国巡回、テレビの地方ロケやイベント営業など、持ち込まれた仕事を泥臭くこなしました。関係者の証言によると、名高は約10年以上の歳月をかけて数億円の負債を自力で完済したと伝えられています。バブルの清算を己の身体一つでやり遂げたその誠実さは、業界関係者からも厚い信頼を勝ち取る契機となりました。