金鑚神社(読み方:かなさなじんじゃ)の境内へ足を踏み入れると、一般的な神社建築とは異なる決定的な構造差に気づきます。拝殿の奥にあるはずの「本殿」が影も形もありません。拝殿正面の格子扉を開くと、その視線の先にあるのは鬱蒼とした森に覆われた御室山(御室ヶ嶽)の稜線そのものです。
神道が成立した原初の時代、人々は社殿を建てず、山や巨石、大木といった自然物そのものを神が宿る「神体(依代)」として崇めました。金鑚神社はこの太古の祭祀形態を今なお頑なに受け継いでいます。奈良県の大神神社(三輪山)、長野県の諏訪大社上社本宮(守屋山)と並び、「本殿を持たない日本三大古代祭祀の神社」と称される所以がここにあります。
社伝によると、創建は第12代景行天皇の御代、東征を行った日本武尊(やまとたけるのみこと)が御室山に火打石を御神体として納め、伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神を祀ったことが起源とされています。「かなさな」という独特の社名は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が転じたものと伝えられ、古代からこの地で盛んに行われていた鉱山採掘や鍛冶・金属加工集団の信仰が深く結びついていた歴史を物語っています。