光圀のスケールの大きさを示す特筆すべき事績として、幕府の鎖国体制下において敢行された「快風丸(かいふうまる)」による北方探検があります。鎖国令により500石積以上の大型船の建造が禁じられていた時代に、光圀は幕府の特別な許可を取り付け、寛文10年(1670年)に最新鋭の大型洋式木造船「快風丸」を建造させました。
光圀の狙いは、当時まだ謎のベールに包まれていた蝦夷地(現在の北海道および北方領土方面)の地勢把握と防備状況の調査でした。当時、松前藩周辺で起きたアイヌ民族の蜂起(シャクシャインの戦い)を重く見た光圀は、北方からの異国船侵入やロシアの南下をいち早く予見し、北方の海防意識を高めていたのです。
快風丸は延宝期にかけて計3回にわたる北方航海を実施。松前を越え、石狩や宗谷、さらには千島列島近海まで北上し、現地の風土、特産物、先住民族の生態、航路データを克明に記録して持ち帰りました。鎖国という閉ざされた時代にあって、光圀の眼差しは領内や日本列島を飛び越え、北方の広大な世界と国家安全保障に向けられていたのです。