「富司純子の家系図が凄すぎる」と囁かれる最大の理由は、興行界の歴史を動かしてきた伝説的フィクサーの血筋と、江戸歌舞伎の正統を継ぐ大名門の血筋が、彼女という存在をハブとして完璧に結びついている点にあります。
富司純子(本名:寺嶋純子/てらじま じゅんこ、旧姓:俊藤)は、1945年12月1日に和歌山県御坊市で生を受けました。彼女の父親である俊藤浩滋(しゅんどう こうじ)は、東映の黄金期を築き上げた伝説的映画プロデューサーです。『明治侠客伝 三代目襲名』や『昭和残侠伝』シリーズなどを手掛け、鶴田浩二や高倉健を看板スターに押し上げた任侠映画の生みの親として、映画業界内外に絶大な影響力を誇っていました。
昭和の映画界を牛耳ったプロデューサーを父に持ち、自身も東映の看板女優として君臨した藤純子が嫁いだ先が、歌舞伎界屈指の名門「音羽屋」宗家である尾上菊五郎家でした。これにより、昭和の映像文化の覇者であった「東映・俊藤家」と、江戸時代から連綿と続く伝統芸能の至宝「音羽屋・寺嶋家」という、二大カルチャーの巨頭がひとつの家系図に統合されることになったのです。
さらに現在では、息子の菊之助が人間国宝・二代目中村吉右衛門の四女である瓔子さんと婚姻を結んだことで名門「播磨屋」とも強固に連結。娘の寺島しのぶはフランス人アートディレクターと国際結婚し、その長男が歌舞伎界入りを果たすなど、伝統的な梨園の枠組みを超越したグローバルな広がりを見せています。