彼女の歩みを振り返る上で欠かせないのが、宮本知美の経歴における輝かしい代表歴とクラブでの実績です。神奈川県の強豪チームを経てプリマハムFCくノ一(後の伊賀FCくノ一)に加入すると、卓越した戦術眼と正確無比なパスワークを武器に、若くしてチームの中心選手へと成長しました。
宮本知美がサッカー日本代表に初選出されたのは1997年のことでした。国際Aマッチ通算77試合出場・13得点という堂々たる数字を残し、FIFA女子ワールドカップには1999年アメリカ大会、2003年アメリカ大会、2007年中国大会と3大会連続で出場。2004年にはアテネオリンピックの舞台にも立ち、なでしこジャパンが世間の注目を集め始める過渡期を中盤の要として支え抜きました。
当時の女子サッカー界は現在のような整ったプロ環境とは程遠く、選手たちは日中に働きながら夜間に練習を行う過酷な二重生活を強いられていました。そうした逆境下でも常に高いフィジカルコンディションと冷静なゲームメイクを維持し続けた姿は、後進のなでしこたちに決定的な影響を与えました。