「江戸時代外食産業発展の経緯」の根底には、特異な人口動態が存在していました。参勤交代に伴う武士団の駐屯に加え、地方からの出稼ぎ労働者が押し寄せた江戸の町は、男女比が約2対1という圧倒的な「男余りの独身社会」でした。長屋の狭い部屋で自炊をする器具も技術もない単身男性たちの胃袋を満たすため、路上には無数の移動式店舗が立ち並びます。これこそが「江戸のファストフード屋台文化の真相」です。
当時の江戸っ子たちを熱狂させたのが、いわゆる「江戸四大グルメ」と呼ばれる蕎麦、寿司、天ぷら、鰻でした。「江戸時代の食べ物人気ランキング」でも常に上位を独占していたこれらのメニューについて、当時の価格(文)と現代の貨幣価値(1文=約25〜30円換算)を比較検証してみましょう。
「江戸前寿司発祥の歴史」を辿ると、文政年間(1818〜1830年)に両国の「華屋与兵衛」が、江戸湾で獲れた新鮮な魚介を酢飯と合わせてその場で握るスタイルを考案したのが始まりとされています。それまでの熟れ寿司(発酵寿司)とは異なり、注文を受けてから数秒で提供されるスピード感は、せっかちな江戸っ子の気質に完璧にマッチしました。
「天ぷら蕎麦鰻の歴史」も同様です。屋台の天ぷらは、火災を恐れて屋内での油調理が制限されていた事情から路外で発展し、串に刺したハゼやアナゴをごま油で揚げておやつ感覚でつまむスタイルでした。鰻もぶつ切りを塩焼きにしていた初期から、背開きにして蒸してからタレをつけて焼く「関東風蒲焼」が完成したことで、江戸を代表するスタミナ食へと進化を遂げたのです。