名取裕子が結婚適齢期と呼ばれる20代後半から40代にかけて家庭を持たなかった最大の要因は、重層的な家族の介護問題にあります。彼女の半生は、華やかなスポットライトの裏で過酷な現実と向き合い続ける日々の連続でした。
名取は思春期に実母を亡くし、その後父親は再婚。複雑な家庭環境の中で育ちましたが、30代を迎えた頃から実父が病に倒れ、さらには継母も高齢による体調悪化に見舞われます。過密な撮影スケジュールを抱えながら、彼女は実家と撮影所を往復し、父親と継母の二人を同時に在宅介護・療養支援する生活を15年以上にわたって続けました。
自著や各種メディアの手記で明かされた「おむつ交換や排泄介助を終えてから、華やかな衣装を着て現場へ向かった」という告白は、世間に大きな衝撃を与えました。親の看取りを一人で背負い込む重圧の中で、自分の家庭を持つという選択肢は現実的に排除されていったのです。自身の人生を犠牲にして家族に尽くし抜いた責任感の強さこそが、独身を貫いた最大の理由でした。