小和田邸があったのは、閑静な住宅街が広がる東京都目黒区南1丁目の高台です。多くのメディアで「豪邸」と報じられたため、広大な敷地にそびえ立つ宮殿のような建物を想像する人も少なくありませんが、実際の設計思想は非常に合理的で知的なものでした。
関係資料および当時の建築記録によると、敷地面積は約340㎡(約103坪)。都内の一等地の住宅としては十分に広大ですが、いわゆる旧華族や大財閥が構える数百坪規模の大名屋敷とは一線を画しています。建物は地上2階建てで、延床面積は約220㎡前後の規模でした。
気になる間取りは、外交官としての国際交流や家族の団らんを両立させる「5LDK+書斎」の構成でした。
1階には、国内外の要人や親族を迎えるための格式ある約20畳の洋風応接間、落ち着いたトーンで統一されたリビングダイニング、そして機能的な独立型キッチンが配置されていました。ご婚約内定直後の共同記者会見やご家族そろっての記念撮影で背景となったのが、この1階の応接スペースです。暖炉を思わせるマントルピース調の飾り棚や上品なカーテン、重厚な本棚が印象的で、過度な装飾を排したクラシカルな気品が漂っていました。
2階はプライベートゾーンとなっており、小和田恆氏・優美子氏夫妻の主寝室、そして雅子さまと双子の妹である礼子さん・節子さんのそれぞれの個室、さらに膨大な外交・法学関連の蔵書を収めた恆氏専用の書斎が設けられていました。雅子さまの部屋はシンプルで機能的な内装で、勉学に励まれた机や本棚が整然と並んでいたと伝えられています。
また、ネット上で根強く囁かれた「地下室が存在する」という噂ですが、敷地が緩やかな傾斜地にあったことから、基礎部分の半地下スペースや通風口の存在が外観上目立ち、それが「地下シェルターがある」「巨大な防音室がある」といった誇張へと変化したと考えられます。実際には、書類や書籍を保管する納戸的な地下ピットや換気設備の一部は存在したものの、住居スペースとしての広大な地下室が存在したという客観的事実は確認されていません。