歯痛に襲われた患者が最も陥りやすい罠が、「痛む部位の外科的処置を急ぐこと」です。激痛に襲われている最中は冷静な判断が難しくなり、「何でもいいからこの歯を抜いて痛みを止めてほしい」と医師に迫ってしまう傾向があります。しかし、非歯原性歯痛に対して抜髄(神経を抜く処置)や抜歯を行っても、痛みが消える確率は極めて低く、むしろ事態を破滅的に悪化させるリスクを孕んでいます。
神経を失った部位には、医学的に「幻歯痛(げんしつう)」と呼ばれる難治性の慢性痛が固定化する危険性があります。これは四肢を切断した患者が存在しない手足に激痛を感じる「幻肢痛」と同様のメカニズムで、抹消からの刺激を失った脳の痛覚神経ネットワークが過敏化し、治癒不能な中枢性疼痛へと移行してしまう現象です。
また、デスクワークやスマートフォンの長時間利用が一般化した現代において見落とされがちな盲点が、「TCH(Tooth Contacting Habit:歯列接触癖)」による筋膜性歯痛です。正常な人間の上下の歯が触れ合っている時間は、会話や食事を含めても1日にわずか15分から20分程度に過ぎません。しかし、無意識の集中やストレス下で上下の歯を微弱に接触させ続ける癖があると、咬筋や顎関節に数百キロ単位の持続的ストレスが蓄積され、ある日突然、激痛として発症します。この場合、治療に必要なのは歯の切削ではなく、認知行動療法や筋肉のストレッチ、マウスピースを用いた咬合管理です。