「チャラーン」というフレーズの生い立ちを紐解く上で欠かせないのが、木久扇師匠(旧名:初代林家木久蔵)の極めて異色なキャリアです。落語界に入る前、師匠は政治漫画の巨匠である清水崑に弟子入りし、漫画家や武蔵野美術大学の聴講生として絵筆を握っていました。この「視覚で物事を伝える」というバックボーンこそが、後の芸風に決定的な影響を与えます。
落語界へ転身した当時の演芸界は、立て板に水の流暢な江戸前落語が王道とされていました。立川談志や古今亭志ん朝といった不世出の天才たちがしのぎを削るなか、師匠は正攻法で競うのではなく、「一目で大衆の記憶に残る記号」の確立を模索します。自著や過去の回顧インタビューにおいて師匠は、「漫画のコマから飛び出す描き文字(オノマトペ)のように、耳と目の両方に飛び込むフキダシをテレビ画面の中に作りたかった」と述懐しています。
そのアイデアが決定的な形となったのが、1969年にリリースされたシングル曲『いやんばか〜ん』でした。外国民謡をベースにしたコミカルな替え歌は大ヒットを記録し、その底抜けに明るいナンセンスなリズムと、寄席の出囃子・囃子方の太鼓の響きが融合。高座やお茶の間の挨拶で顔の横に両手をパッと開き、甲高い声で「チャラーン!」と放つ唯一無二のスタイルが完成しました。単なる思いつきではなく、テレビという映像メディアの特性を極限まで計算した「視覚的キャッチコピー」だったのです。