津村記久子の文学的オリジナリティを語る上で欠かせないのが、その特異な経歴と会社員時代の実体験です。大学卒業後に就職した最初の会社で、彼女は入社直後から激しいパワーハラスメントに直面し、わずか10か月余りで退職を余儀なくされました。このときの精神的打撃と理不尽な労働環境に対する違和感が、彼女の創作の原動力となったことは本人のインタビューや手記でも率直に明かされています。
その後、職業訓練校を経て別の企業に事務職として再就職。2005年に『マンイーター』(単行本化時に『君は永遠にそいつらより若い』へ改題)で第21回太宰治賞を受賞して作家デビューを果たした後も、執筆専業にはシフトしませんでした。2009年に『ポトスライムの舟』で第140回芥川賞を受賞した後も会社員を続け、実に10年半にわたり給与所得者としての生活を維持しました。
「生活のリズムを保ち、職場の空気感を手放さないこと」を選び続けたこの兼業期間こそが、彼女の作品に漂う「手触りのある生活感」の源泉です。満員電車の息苦しさ、給与明細を前にした計算、同僚との絶妙な距離感といったディテールは、机上の空論ではなく徹底した当事者感覚から紡ぎ出されています。