穏田川が地上から姿を消す決定打となったのが、1964年に開催された第18回東京オリンピックでした。東京都建設局や渋谷区の郷土資料によると、当時の東京は急速な人口過密とインフラ整備の遅れにより、河川への未処理下水の垂れ流しが深刻な社会問題となっていました。
東京五輪に伴う暗渠化の理由は、主に以下の3点に集約されます。
- 悪臭・衛生問題の抜本的対策:国立代々木競技場や選手村(現・代々木公園)に隣接する地域として、海外からの来訪者を迎えるにあたりドブ川化していた水路の隠蔽が急務だった。
- 集中豪雨時の都市型水害対策:降雨時の急激な水位上昇を防ぐため、コンクリートボックスカルバート(箱型暗渠)を敷設して下水道幹線(千駄ヶ谷幹線)へと改修する必要があった。
- 歩行者・車両空間の確保:オリンピック関連施設周辺の交通網を再編し、慢性的な用地不足を解消する手段として河川上部空間が着目された。
工事は急ピッチで進められ、開会式直前には宮下公園以北の渋谷川はほぼ完全に地下へ埋設されました。川としての法的な指定が廃止された後、地元住民からの緑道化要望を受け、1970年代後半に車が進入できない遊歩道として生まれ変わったという経緯を辿っています。