青い目の人形はなぜ奇跡的に現存したのか?処分命令と戦火を越えた真相

青い目の人形はなぜ奇跡的に現存したのか?処分命令と戦火を越えた真相

青い目の人形はなぜ奇跡的に現存したのか?処分命令と戦火を越えた真相とはどんな影響があるのか? 詳しい意味を整理してお届けします。

現在でもインターネット上や教育現場で頻繁に見受けられる大きな誤解の一つに、「全米から青い目の人形が贈られたニュースに感動した野口雨情が、あの有名な童謡を作詞した」という俗説があります。しかし、歴史的事実を丹念に検証すると、この時系列は明確に逆であることが分かります。

詩人・野口雨情作詞、本居長世作曲による名作童謡『青い眼の人形』が発表されたのは、大正10年(1921年)のことです。すなわち、ギューリック博士と渋沢栄一による親善人形のプロジェクトが実施される6年も前に、この歌はすでに日本中の子どもたちの間で歌い継がれていました。

「青い眼をした お人形は アメリカ生れの セルロイド」という哀愁を帯びた歌詞は、当時日本国内に輸入され始めたばかりの西洋人形を見つめ、異国の地で言葉も通じず心細そうにしている姿に日本人の情緒的な同情を投影した創作でした。1927年に実際に米国から友好人形が到着した際、日本の子どもたちや教育関係者が自然発生的にそれらの人形を「青い目の人形」と呼び親しんだのは、野口雨情の童謡があまりにも広く国民に浸透していたからに他なりません。史実と文化の結びつきを取り違えることなく、童謡という土壌があったからこそ、人形たちが温かく受け入れられたという文脈を正しく捉え直す必要があります。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。