寿町がどのようにして誕生し、なぜ福祉の街へと変化したのか。その背景には、横浜港の発展と日本経済の構造転換が深く関わっています。
第二次世界大戦後、米軍によって寿町一帯の土地が接収され、軍用車両の修理工場や資材置き場として使用されていました。1955(昭和30)年頃に接収が解除されると、横浜港の本牧埠頭や山下埠頭などで船内荷役作業に従事する労働者の宿泊施設として、木造の簡易宿泊所(通称ドヤ)が急速に建設され始めました。これが「寿町ドヤ街」の始まりです。
最盛期には約300軒もの簡易宿泊所が密集し、全国から集まった1万人近い単身男性労働者がひしめき合っていました。当時は朝早くから職を斡旋する手配師と労働者で路上熱気が満ち溢れ、高度経済成長の土台を築く貴重な労働力供給拠点となっていました。
しかし、1980年代後半からのコンテナ化による港湾荷役の自動化・機械化、そして1990年代初頭のバブル崩壊に伴う建設需要の激減が、街の運命を大きく変えます。日雇いの仕事が急速に失われる一方で、労働者たちは街に留まり続け、年齢を重ねていきました。
現在、横浜市中区寿町エリアに暮らす住民約6,000人のうち、生活保護受給率は約80%超、高齢化率(65歳以上)は55%以上という突出した数値を示しています。仕事にあぶれた高齢労働者を支えるため、横浜市や社会福祉法人、NPO法人がいち早く生活保護の適用と医療・介護ケアの包括支援体制を整備。その結果、全国に先駆けて「労働者の街」から「巨大な福祉コミュニティ」へと完全移行しました。