相州下鶴間諏訪神社の御祭神は、信濃国一之宮・諏訪大社と同じく建御名方神(タケミナカタノカミ)です。古くから武勇の神、雨や風を司る農耕の神、そして大地を鎮める開運の神として尊崇されてきました。
神社の記録や地域史料によると、その草創は遠く中世以前に遡ると伝えられます。鎌倉街道や矢倉沢往還(大山街道)が交わる交通・軍事の要衝であった下鶴間において、武士団や宿場を行き交う旅人たちが道中の安全と勝利を祈願したのが始まりとされています。
特に特筆すべき歴史的ハイライトは、明治4年(1871年)の失火とそこからの奇跡的な再建事業です。当時の氏子崇敬者たちは集落の象徴を失った悲痛を乗り越え、地域の威信をかけて社殿の再興に乗り出しました。腕利きの名工の手によって3年以上の歳月が注ぎ込まれ、明治7年に現在の社殿が竣工。拝殿の随所に刻まれた精緻な彫刻群は、単なる宗教施設にとどまらない、当時の職人たちの魂と集落の熱量が凝縮された結晶といえます。
さらに、古代相模国の重要拠点であったことを示す「石楯尾神社」論社としての側面も見逃せません。近隣の座間市や相模原市にも複数の論社が存在しますが、下鶴間の地が古来より神聖な祭祀場として選ばれてきた地勢的証拠であり、これが境内一帯に独特の厳格な空気を醸し出している要因でもあります。