長崎次郎喫茶室の最大の魅力は、足を踏み入れた瞬間に大正時代へとタイムスリップしたかのような圧倒的な空間美にあります。現在の建物は1924年(大正13年)に建てられたもので、建築界の巨匠・保岡勝也が設計を手掛けた木造2階建ての町屋・洋風折衷建築です。1998年には国の国登録有形文化財に指定され、熊本大空襲や2016年の熊本地震という幾多の災禍を乗り越えて奇跡的に現存しています。
この地はかつて夏目漱石や小泉八雲が往来し、軍医として熊本に赴任していた文豪・森鴎外が『小倉日記』にその名を記した森鴎外ゆかりの地としても知られています。壁面の飾り棚やアンティーク照明、床板の軋みひとつひとつに、文豪たちが生きた時代の空気がそのまま閉じ込められています。
喫茶室の2階窓際席に座ると、目の前の新町通りをガタゴトと音を立てて走り抜ける熊本市電の車窓風景が視界いっぱいに広がります。緩やかなカーブを描く軌道とレトロな車輪の響き、木枠の窓越しに注ぐ柔らかな自然光が織りなす情景は、日常の喧騒を完全に忘れさせてくれる贅沢なひとときを約束してくれます。