GoogleやYahoo!の検索窓に「矢部太郎 大家さん」と入力すると、関連ワードとして浮上することがある「塩野郁子」という人名。結論から言えば、この名前が『大家さんと僕』のモデルとなった大家さんの本名であるという公式な根拠や発表は一切存在しません。
矢部太郎さんおよび出版元の新潮社は、連載当初から大家さんが一般の方であることを徹底して尊重し、プライバシー保護の観点から本名や正確な住所などの個人情報を一切伏せてきました。2018年8月に大家さんが享年91で逝去された際にも、矢部さんは追悼文の中で終始「大家さん」と敬称で呼びかけ、実名が明かされることはありませんでした。
では、なぜ「塩野郁子」という具体的なフルネームが検索されるようになったのでしょうか。背景を調査すると、WebメディアやQ&Aサイト、人物データベース等の周辺情報が複雑に交錯したことが見えてきます。出版関係者や手塚治虫文化賞の受賞関係者、あるいは同姓同名の著名人に関する情報がネット上の自動生成まとめ記事などによって誤って紐付けられ、それがクリックされることでサジェストに固定化されたという図式です。
作中のエピソードや矢部さんの誠実な語り口からも分かる通り、大家さんの本名を探る行為自体が作品の精神とは一線を画すものです。ネットの噂に惑わされることなく、矢部さんが描いた「大家さん」その人の佇まいを受け止めることが何より大切だといえます。