宮沢光子氏は1948年(昭和23年)に生まれました。戦後復興期の東京で育ち、早くから自立した生活を送っていた光子氏は、六本木の飲食店などで働きながら広い人脈を築いていきました。1973年、光子氏が20代半ばのときに生まれたのが長女のりえ氏です。宮沢りえ氏のオランダ人 父親とは婚姻関係を結ぶことなく別れ、光子氏はシングルマザーとして娘を育てる道を選びました。
幼少期のりえ氏は、光子氏の仕事の都合により伯母(光子氏の姉)の家庭に預けられる時期も長く、母娘が常に密着していたわけではありませんでした。しかし、りえ氏が小学校高学年を迎え、その日本人離れした美貌と圧倒的なプロポーションが周囲の目を引くようになると、光子氏のプロデューサーとしての才能が覚醒します。
1987年、りえ氏は三井不動産販売(当時)のテレビCM「三井のリハウス」の初代リハウスガール・白鳥麗子役に抜擢され、瞬く間に社会現象を巻き起こしました。翌1988年には映画『ぼくらの七日間戦争』で映画初出演にして主演を務め、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。大手芸能事務所に所属させず、光子氏自らが設立した個人事務所「エム・スリー」で娘のマネジメント全権を差配する手法は、当時の芸能界において極めて異例かつ画期的な試みでした。