雅子さま適応障害の真相と現在|医師団の最新見解が示す回復の軌跡

雅子さま適応障害の真相と現在|医師団の最新見解が示す回復の軌跡

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雅子さまが帯状疱疹による入院を経て長期療養に入られたのは2003年12月のことでした。その後、2004年7月に宮内庁より「適応障害」の診断名が正式発表され、日本のみならず世界中に大きな衝撃を与えました。ハーバード大学経済学部を卒業後、東京大学法学部に学び、外務省の北米二課で外交官として最前線に立っていた雅子さまが、なぜそこまで追い詰められることになったのか、その根本には「外務省時代の実績・自負」と「皇室内の旧弊な役割期待」との激しい軋轢がありました。

当時、最大の課題とされていたのは「皇位継承者となる男子の出産」でした。1993年のご成婚以降、メディアや宮中関係者からの視線はお世継ぎ問題に集中しました。1999年の流産報道という過酷な試練、そして2001年の愛子内親王殿下ご誕生後も、「次の男子を」という無言かつ露骨なプレッシャーが止むことはありませんでした。国際親善を担う「皇室外交」での活躍を期待して皇室へ飛び込まれた雅子さまにとって、海外訪問すら厳しく制限され、人格そのものを男子出産の手段として見なされるような空気は、耐え難い精神的孤立をもたらしました。

この苦境を誰よりも近くで見ていた天皇陛下(当時皇太子)は、2004年5月の欧州歴訪前の記者会見で、歴史に残る発言をされました。

「それまでの雅子のキャリアや、それに伴った雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」

いわゆる「人格否定発言」です。皇太子殿下が宮内庁の体制や皇室を取り巻く慣習に対して公の場で異例の抗議を行わなければならないほど、雅子さまの心身は限界に達していました。自由な外出やプライベートが制約される宮廷生活のなかで、キャリアアイデンティティを根底から否定されたことが、適応障害を発症させた最大の引き金であったことは紛れもない事実です。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。