「なぜ、これほど人が行き交う東京駅と浅草の間に直通電車が走っていないのか」。SNSや旅行コミュニティでは定期的にこの疑問が投稿され、議論を呼びます。山手線のような環状線の中央に位置する東京駅と、江戸情緒を色濃く残す浅草。この2大拠点を直結する鉄路が存在しない背景には、日本の鉄道黎明期に起きた事業構想のすれ違いと都市計画の複雑な歴史が存在します。
時計の針を1920年代へ巻き戻すと、日本初の地下鉄として建設された現・東京メトロ銀座線(東京地下鉄道)は、当時の東京屈指の歓楽街であった浅草と、北の玄関口である上野を結ぶ路線からスタートしました。その後、路線を南へ延伸する際、彼らが目指したのは官公庁街やビジネスの中心地であり、当時の日本橋から銀座、新橋へと抜けるメインストリートでした。当時の東京駅は丸の内に赤レンガ駅舎を構えていたものの、地下鉄計画のメインルートからは西に数百メートル離れていたため、直接乗り入れる線路は引かれませんでした。
さらに戦後、都営地下鉄浅草線(1号線)が計画・開通した際も、京成電鉄と京浜急行電鉄を直結する南北連絡が主眼に置かれた結果、線路は浅草から東日本橋、人形町、日本橋方面へと抜け、八重洲口のはるか東側を通過しました。旧国鉄(現在のJR各線)もまた、山手線や中央線のネットワーク構築を優先し、浅草のような私鉄・下町拠点への支線建設に巨額の予算を投じることはありませんでした。この歴史的な経緯の積み重ねによって、「直線距離は近いにもかかわらず、鉄道会社ごとの都合と時代背景のズレから直通線路が生まれなかった」という都市交通のミッシングリンクが生じたのです。