佐々木朗希の父・功太さんの真実|震災の悲劇を越えた家族の絆と教え

佐々木朗希の父・功太さんの真実|震災の悲劇を越えた家族の絆と教え

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2011年3月11日、東日本大震災。三陸沿岸を襲った想定外の巨大津波は、佐々木家が暮らしていた岩手県陸前高田市高田町を壊滅させました。佐々木投手が通っていた高田小学校は内陸寄りの高台にあったため、朗希投手自身や生徒たちは難を逃れましたが、平野部にあった実家は基礎ごと押し流される甚大な被害を受けました。

この未曾有の大災害により、勤務先から家族や地域の安全を確保しようと奔走していた父・功太さん、そして同居していた祖父母の命が奪われました。死因は津波による水死と確認されています。当時、小学3年生(9歳)だった佐々木投手にとって、昨日まで当たり前のようにキャッチボールを交わし、頭を撫でてくれた父親が突然姿を消した事実は、到底受け入れがたい過酷な現実でした。

ネット上では一時期、「父親の遺体は見つかっていないのではないか」「行方不明のままなのか」という検索ワードが散見されましたが、報道各社の取材データおよび関係者の記録によると、震災発生から一定の期間を経て功太さんの身元は確認され、家族の元へと無言の帰宅を果たしています。遺された家族は遺骨を前に深い悲嘆に暮れながらも、避難所となった小学校の体育館で配給の列に並び、身を寄せ合って極限の日々を耐え忍びました。

避難所生活を経て、母・陽子さんは息子たちの将来と心の回復を最優先に考え、隣接する大船渡市への転居を決断します。家財道具も思い出の写真も失われたゼロからの再出発。しかし、被災したグラウンドに響く少年たちの声と、父親が生前に買い与えてくれたグローブの感触だけは、佐々木投手の心の中で途切れることなく生き続けていました。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。