3.11津波の高さはなぜ最大40Mを超えたのか?記録と教訓を検証

3.11津波の高さはなぜ最大40Mを超えたのか?記録と教訓を検証

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大震災以前、三陸沿岸の自治体は過去の津波経験に基づき、世界屈指の巨大な防潮水門や堤防を建設していました。「万里の長城」と称された岩手県宮古市田老地区の防潮堤(海抜10メートル・総延長約2.4キロメートル)や、水深約63メートルの湾口に築かれた釜石港湾口防波堤は、世界最大規模の防災構造物として国際的にも注目を集めていました。

しかし、襲来した津波の規模は海抜15メートルから20メートルを超え、コンクリートの防壁をいとも容易く越流しました。堤防を越えた海水は、構造物の裏法面(陸側の傾斜部)を激しく侵食・洗掘し、土台から基礎を破砕して堤防本体を瞬く間に倒壊させました。ハード構造物は津波の威力を数分間減衰させる効果は発揮したものの、完全な遮断を期待した住民に心理的な油断を与えてしまった側面は否めません。

震災当時の手記や住民ヒアリング記録には、過酷な心理的葛藤が克明に綴られています。「頑丈な防潮堤があるからここまでは絶対に来ない」「昭和三陸津波でも浸水しなかった場所に家がある」という思い込みから、即座に高台へ逃げなかった被災者が多数存在しました。南三陸町や陸前高田市では、避難場所に指定されていた市民会館や小学校の校舎屋上すら波に呑まれ、指定避難所そのものが被災する事態が多発したのです。

山崎 陸
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山崎 陸

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