裁判では嘱託殺人や監禁致傷などの罪に問われ、懲役4年の実刑判決を受けた。法廷での態度は一貫して理路整然としており、自らの罪を受け止めつつも、三島や森田への敬慕の念を捨てることはなかったという。
千葉刑務所での服役を終えて仮釈放された後、世間の苛烈な好奇の視線から逃れるように、彼は表舞台から完全に姿を消した。改名し、精神的な救済を求めて新宗教や伝統的な精神世界への傾倒を深めていく。かつて国家の覚醒を叫んで日本刀を握った青年は、静寂な信仰生活と法務関連の仕事に身を捧げる市井の一市民へと変貌を遂げていた。
メディアからの執拗な取材攻勢を頑なに拒み続けた姿勢は、売名や自己弁護を極度に嫌った三島への「最後の忠誠」だったのかもしれない。言葉ではなく自らの沈黙によって事件の神聖さを守り抜く――それが彼に課せられた、終わりのない贖罪の形だった。