本作のレビューや掲示板を検索すると、絶賛の声に混ざって「最終回がスッキリしない」「モヤモヤが残った」という意見が散見されます。この評価の背景には、日本の一般的な勧善懲悪ドラマを期待した視聴者と、本作の作劇方針との間に存在する決定的なギャップがあります。
第1の要因は、「究極の善人であったガンウクの死」に対する感情的反発です。ヨナを陥れた張本人であるユラ一家がどれほど悲惨な目に遭おうとも、最も純粋にヨナを支え、テヤンを愛したガンウクが命を落とすという結末は、視聴者にとって「理不尽な代償」として映りました。「なぜ罪のないガンウクが死ななければならなかったのか」という疑問は、スッキリ感を求める層にとって大きな痛恨点となったのです。
第2の要因は、「ユラの精神崩壊による復讐の空虚化」です。ユラが己の犯した罪の重さを完全に認識し、骨の髄まで後悔しながらヨナに土下座して詫びる場面を望んでいた視聴者にとって、精神を病んで現実認識すら失ってしまったユラの姿は、復讐の相手そのものが消滅してしまったかのような脱力感をもたらしました。加害者が狂気に逃げ込んだことで、正面からの謝罪が得られなかったフラストレーションが「スッキリしない」という感想に直結しています。
しかし、文芸的・脚本的な観点から見れば、この結末こそが本作を単なる凡庸な愛憎劇から傑作へと昇華させた決定打でした。復讐の完遂には必ず愛する者の犠牲や取り返しのつかない喪失が伴うという、ギリシャ悲劇にも通じる「復讐の代償」を描き切った点に、本作の真の作家性が見出せます。