Q1:北条時行は本当に「逃げ足」が速かったのですか?
A1:『太平記』や公家の日記などの史料に「足が速かった」という直接的な記述はありません。ただし、幕府滅亡、中先代の乱の敗北、武蔵野合戦後の敗走など、敵の厳重な包囲網を何度も突破して20年間も潜伏・逃走を成功させた事実は、彼が神がかり的な隠密行動力と逃走技術を備えていた証拠と言えます。
Q2:最期に処刑された「龍ノ口刑場」は現在どうなっていますか?
A2:神奈川県藤沢市片瀬にある日蓮宗の本山「龍口寺」の境内周辺がその跡地です。龍ノ口は鎌倉時代から重罪人の処刑場として使われ、日蓮聖人が処刑を免れた「龍ノ口法難」でも有名です。現在、境内奥には時行らを追悼する供養碑が静かに佇んでいます。
Q3:なぜ父親を自害に追い込んだ後醍醐天皇(南朝)の配下になったのですか?
A3:最大の仇である足利尊氏を討つという目的が、南朝側と完全に一致したためです。尊氏に裏切られた後醍醐天皇にとっても、東国武士に絶大な影響力を持つ北条のカリスマは喉から手が出るほど欲しい戦力でした。利害の一致による高度な政治的妥協(呉越同舟)でした。
Q4:時行は何歳で亡くなったと推定されていますか?
A4:幕府滅亡時(1333年)に幼少(7〜8歳前後)だったとされ、1353年の処刑時には数え年で25歳前後であったと推測されています。青年期のすべてを足利打倒と逃亡生活に費やした激動の人生でした。