東京大会での金メダル獲得からパリオリンピックまでの3年間は、大橋にとって決して平坦な道のりではありませんでした。東京での栄冠直後、燃え尽き症候群に近い極度の精神的疲弊に襲われ、一時は「プールに入ることすら怖くなった」と当時の特番インタビューで赤裸々に告白しています。
それでも恩師である平井伯昌コーチとの二人三脚でフォームを見直し、2024年3月の代表選考会では派遣標準記録を突破して見事にパリへの切符を掴み取りました。しかし、迎えたパリ五輪200m個人メドレーでは準決勝敗退。レース直後のミックスゾーンで見せた清々しくもどこか吹っ切れた表情は、多くの競泳ファンの胸を打ちました。
関係者の証言によると、引退を決意させた決定打は「記録の低下」そのものではなく、「競技者として極限まで突き詰めるエネルギーをすべて出し切った」という精神的な充足感でした。東京五輪後の数年間、大橋は「勝たなければいけないプレッシャー」と「全盛期の自分の幻影」に苦しみ続けていました。パリ五輪の舞台を戦い抜き、「これ以上続けたら、愛してきた水泳を嫌いになってしまうかもしれない」という感情に達したとき、潔い幕引きを選択したのです。