日本における学校給食の幕開けは、今から130年以上前の明治時代にまで遡ります。文部科学省の公式記録や日本スポーツ振興センターの学校給食資料において、給食発祥の地として公式に認定されているのが山形県鶴岡市(旧鶴岡町)です。
明治22年(1889年)、鶴岡町にある曹洞宗の寺院「大督寺」の本堂に、貧困によって学校へ通えない子どもたちのために開設された「私立忠愛小学校」がありました。当時の住職や教育関係者たちは、満足に米を食べられず弁当を持参できない子どもたちが、空腹と恥ずかしさから就学を諦めてしまう現実に直面しました。そこで「子どもたちに昼食を無償で提供し、教育を受けさせよう」と立ち上がった僧侶たちによって振る舞われたのが、日本の給食の原点です。
明治の給食最初のおにぎりの献立は極めて質素でしたが、子どもたちの命と尊厳を支える温かいものでした。大督寺の記録に残る献立内容は以下の3品です。
- 塩むすび(2個):地元産の米を炊き上げ、塩だけで握った素朴なおにぎり
- 焼き魚(塩鮭):庄内地方で手に入る塩鮭の切り身を香ばしく焼いたもの
- 菜の漬物:地元の青菜などを漬け込んだ塩漬け
当時の児童の手記には、「お昼の時間にほかほかのおにぎりを差し出されたとき、嬉しさのあまり涙がこぼれ、両手で包み込むようにして味わった」という生々しい記憶が残されています。この取り組みの評判は瞬く間に全国へと広がり、岩手県や東京をはじめとする各地の寺院や篤志家、慈善団体によって「学校給食」を通じた貧困救済の輪が自発的に形成されていきました。