子ども向けの偉人伝では「初飛行の成功」をもってハッピーエンドとして描かれるケースがほとんどですが、実際の歴史には後世あまり語られない過酷な現実が存在しました。
盲点1:初飛行の直後、世間からは「嘘つき」と無視された
1903年の初飛行成功直後、地元デイトンの新聞社やニューヨークの主要メディアは「人間が空を飛べるはずがない」と決めつけ、記事掲載を拒否したり、ほんの数行のベタ記事で済ませたりしました。当時、飛行を騙る詐欺師が横行していたため、兄弟の偉業は実に数年間もの間、アメリカ国内で正当に認められませんでした。
彼らの真価が世界に知れ渡ったのは、1908年にフランスのル・マンでウィルバーが公開飛行を行い、見事な旋回飛行を披露してヨーロッパの航空界を驚嘆させてからのことです。
盲点2:晩年を蝕んだドロ沼の「特許訴訟」とウィルバーの死
兄弟は自らの発明を守るため、機体の傾きを制御する技術の特許を取得しました。しかし、後発の航空機開発者グレン・カーチスらとの間で泥沼の特許侵害訴訟に突入します。ウィルバーは技術開発から離れ、連日の法廷闘争と書類作成に追われることになりました。その心労と過労がたたったのか、ウィルバーは1912年、腸チフスを患いわずか45歳の若さで病没します。弟のオーヴィルは深い喪失感の中、1948年に76歳で亡くなるまで、兄弟の功績と名誉を守る戦いを続けました。
偉人伝から学ぶ珠玉の名言
ウィルバーが残した有名な言葉に、次のようなものがあります。
「もし私たちが、先人たちの言ったことをすべて正しいと信じていたら、飛行機を作ることは決してできなかっただろう」
権威や前例にとらわれず、現場の事実だけを信じる姿勢こそが、彼らを空へと押し上げた本質でした。