東北地方の県庁所在地まとめ!岩手県が盛岡市の理由と暗記法を徹底解剖

東北地方の県庁所在地まとめ!岩手県が盛岡市の理由と暗記法を徹底解剖

東北地方の県庁所在地まとめ!岩手県が盛岡市の理由と暗記法を徹底解剖にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

日本全国を見渡しても、県名と県庁所在地が異なるケースには必ず歴史的な転換点が潜んでいます。なかでも岩手県盛岡市理由については、近代日本が形作られた廃藩置県歴史の経緯を紐解く必要があります。

1871年(明治4年)の廃藩置県当初、盛岡藩の流れを汲む地域には「盛岡県」が置かれ、県庁も盛岡城下に置かれました。しかし翌1872年、盛岡県は県庁の所在地であった「岩手郡」の名称をとって「岩手県」へと改称されることになります。

ネット上や一部の俗説では「戊辰戦争で明治新政府に抵抗した旧幕府側(奥羽越列藩同盟)の藩だったため、懲罰として城下町の名(盛岡)を県名から剥奪された」という説がまことしやかに語られることがあります。しかし、近年の歴史学的な検証では、この「懲罰説」は明確に否定されています。

国立公文書館等の史料調査によれば、改称の真の理由は「旧城下町の領主支配のイメージを払拭し、新たな行政区画として広域統合を進めるため」でした。明治政府は旧藩の封建的な枠組みを解体するため、城下町名ではなく管轄する「郡名(岩手郡)」を県名に採用する方針を全国一律で適用したのです。同じ東北の宮城県仙台市も同様に、旧仙台藩の城下町名から郡名である「宮城郡」を採用して「宮城県」と命名されました。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

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