「結婚という制度は人間を縛るものだ」として生涯独身を公言していた太郎ですが、その創作活動を最も近くで支え、マネジメントを一手に引き受けたのが岡本敏子でした。
敏子は秘書として太郎を公私にわたり献身的にサポートし、太郎が亡くなる直前には法的な手続きを経て養女として籍を入れました。これは男女の恋愛関係を超越した、絶対的な同志としての深い絆があったからこそ選ばれた形です。太郎の死後、彼が残したアトリエを保存し、未完の作品や散逸しかけた資料を世に送り出した敏子の奮闘がなければ、現在の岡本太郎ブームは存在しなかったと言っても過言ではありません。
太郎の奔放な女性遍歴や独特の家族観をすべて受け止め、その情熱を社会へ届けるフィルターとなった敏子の存在は、岡本太郎という現象のもうひとつの主役でした。