1967年4月23日未明、バイコヌール宇宙基地から打ち上げられたソユーズ1号は、軌道投入直後からトラブルの連続でした。左側の太陽光発電パネルが展開せず、極度の電力不足に陥ったうえ、姿勢制御システムや星姿勢センサーまでもが次々とダウン。予定されていたソユーズ2号とのドッキング計画は即座に中止され、地上管制はコマロフに緊急帰還を命じます。
コマロフの卓越した手動操縦技術により、奇跡的に大気圏再突入のシーケンス自体は成功しました。しかし、最大の悲劇は地上わずか数キロの最終降下フェーズで発生します。大気抵抗で減速するための主パラシュートがコンテナから正常に放出されず、予備のパラシュートも絡まり合って完全に展開不能となったのです。
カプセルは減速することなく時速140キロメートルを超える猛烈な速度でオレンブルク州の平原に激突。激突の瞬間に逆噴射用ロケット燃料が爆発炎上し、カプセルは数千度の超高温に包まれる火葬炉と化しました。これが、宇宙飛行中の事故として人類史上初の犠牲者を出したコマロフ墜落の経緯です。