「無血開城(むけつかいじょう)」とは、攻城戦において守城側が武力で抵抗することなく、城内での流血を伴わずに城を攻め手へ明け渡す行為を指します。日本史において単に「無血開城」と呼ぶ場合、そのほとんどが1868年(慶応4年)4月11日に敢行された江戸城の明け渡しを意味します。
当時、徳川幕府が260年以上にわたって築き上げた江戸の町は、武士と町人合わせて推定100万人以上が暮らす世界屈指の過密都市でした。もしここで新政府軍と旧幕府軍による市街戦が勃発していれば、木造家屋が密集する江戸市街は火の海と化し、死傷者は数十万人規模に及んでいたと推計されています。明治維新の歴史的背景において、この大破壊を未然に防ぎ、日本の国力を保ったまま近代化へ移行できた意義は計り知れません。
戊辰戦争の全体の流れをわかりやすく整理すると、発端は同年1月の「鳥羽・伏見の戦い」でした。薩摩・長州を中心とする新政府軍に敗れた15代将軍・徳川慶喜は、大坂から軍艦で江戸へ逃亡。新政府は慶喜を「朝敵」と指定し、有栖川宮熾仁親王を大総督とする東征軍を編成して、東海道・東山道・北陸道の3ルートから江戸城を目指して進軍を開始したのです。