なぜ屈強な船員たちだけが助かり、乗客全員が犠牲となったのか。この疑問に対し、ドレーク船長は神戸の英国領事館で開かれた海難審判の法廷で驚くべき弁明を展開しました。
ドレーク船長の証言記録によると、船長は次のように主張しました。「船が沈みかけた際、日本人乗客たちにボートへ移るよう英語で指示したが、彼らはパニックに陥り、言葉が通じず船室の底に閉じこもって出ようとしなかった。危険を冒して救助しようとしたが拒まれたため、やむを得ず自分たちだけで退船した」というものです。
しかし、当時の日本側関係者や法律家による現場検証および状況分析は、この証言の欺瞞を明白に暴いています。
- 言葉の壁という虚構:緊急時において身振り手振りや強制的な誘導すら行わず、ただ「英語が通じなかった」と主張するのは船長としての救護義務放棄にほかならない点。
- ハッチの閉鎖疑惑:生存した外国人水夫の一部証言や船体の構造から、船員たちが自らの脱出時間を稼ぐため、乗客が甲板へ逃げ出せないようハッチ(昇降口)を閉鎖・施錠した疑いが極めて強かった点。
- 救命ボートの定員余裕:脱出に使用された救命ボートには十分な空位があり、乗客を乗せる物理的余力があったにもかかわらず、日本人を一人も乗せなかった点。
背景にあったのは、当時の欧米列強がアジア人に対して抱いていた根深い人種差別意識と、「植民地航路における非白人乗客の命の軽視」という構造的な病理でした。船長らにとって、日本人乗客の生命を守ることは自らの生還よりも遥かに優先度の低い事項だったのです。