この特異な施設を語る上で欠かせないのが、かつてフジサンケイグループを率い、東京シティ・エアターミナル株式会社の設立にも深く関わった実業家・水野成夫の存在だ。高度経済成長期の只中、羽田の容量逼迫と新東京国際空港(現・成田)の建設を見据えた水野は、都心と空を直結するバスターミナルの必要性をいち早く予見していた。
首都高のインターチェンジと建築物が一体化した立体的な構造設計は、昭和の都市計画の粋を集めたモダニズムの結晶でもある。都心のエアシティ構想という壮大な夢は、半世紀以上の時を経た今もなお、機能的な移動拠点として都市の動脈を支え続けている。