表現の自由を守る防波堤であるはずの全米映画協会(MPAA)のレーティングや業界ガイドラインも、巨大資本の前には形骸化しつつある。スポンサー企業や政府機関の意向に抵触する映像表現は、配信前の段階で巧妙に間引かれ、無難な内容へと改変されるのが日常茶飯事だ。
現場の映像監督たちは、資金調達の引き換えに編集権を手放すことを迫られている。独立系製作者がどれほど真実を追い求めようとも、配給ラインを抑えられた状況下では、プラットフォームの承認なしに世に出ることはできない。資本の介入は、ドキュメンタリーが持つ本質的な批判精神をジワジワと蝕んでいる。