なぜ一つの家庭から、これほど多才な逸材が輩出されたのか。その原動力となったのが、父親である小澤開作(おざわ かいさく)氏の存在です。
歯科医師であった開作氏は、戦前の満州(現・中国東北部)に渡り、民族協和を理念に掲げる政治活動家としても激動の時代を駆け抜けました。征爾氏の「征」は板垣征四郎、「爾」は石原莞爾から一字ずつ取って命名されたという歴史的逸話は有名です。
敗戦後、すべてを失って日本へ引き揚げてきた開作氏ですが、子どもたちに対する教育姿勢は徹底して「自主自立」でした。当時の手記や兄弟の回想によると、父・開作氏は「勉強しろ」と強制することは一切なく、「自分の信じた道なら、貧乏して野垂れ死にしても本望だと思えることをやれ」と背中を押し続けたといいます。
母・さくら氏も敬虔なクリスチャンであり、家庭内には常にピアノの音色と賛美歌が流れていました。敗戦直後の極貧生活のなかでも、母は征爾氏のために親戚中からお金を工面してアプライトピアノを買い与え、兄たちもまた文句を言うどころか弟の才能を応援しました。この「他者と比較しない」「本人が選んだ情熱を家族全員で肯定する」という精神的土壌こそが、小澤兄弟の突出した突破力を形成したのです。